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名古屋高等裁判所 昭和35年(ツ)40号 判決 1961年1月30日

上告人 橋本義明

被上告人 伊藤隆

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

本件上告理由は別紙記載のとおりであり、これに対し、当裁判所は次のように判断する。

上告理由第一点について、

記録によると、原裁判所は、被上告人の請求原因に対し、次のように認定判断した。

(一)  被上告人は上告人に対し、昭和二八年三月末日頃、第一審判決添付図面(二)の(B)(C)地を、一時使用の目的で、期間を同年四月一日より同年六月末日までと定めて無償で貸与し、その後、右貸与期間は同年九月末日まで延期せられた。

(二)  上告人の主張によると、上告人が被上告人より一時使用のため借受けた土地は右(B)(C)地ではなく、前記図面(二)の(D)地であつて、(B)(C)地は上告人が以前から被上告人より賃借している土地であり更に被上告人から一時使用のため借受ける筈はないというのであるが、右主張は採用できない。

(三)  上告人は、現在、右(B)(C)地の周囲に板塀を設け、その内部に被上告人主張の建物を建てて敷地を使用しているが、前示一時使用の貸借期間が終了した以上、上告人としては、右土地を占有する権限なく、これを明渡すべき義務あること明らかである。

以上のように判示し、被上告人の請求を認容した。右に対し、上告人は、上告理由第一点において、るゝ陳述反ばくしているが、その主張するところは要するに、原判決が適法な証拠調により確定した事実干係及びこれにもとづく判断を非難するものであつて、上告理由としてとうてい採用し得ない。ただ、若干の説明を附加する。

一、原判決は、上告人が前記(B)(C)地上に賃借権を有することの直接証拠として援用する証人橋本たきゑの証言並に上告人本人尋問の結果は、証人伊藤わき、同伊藤益子の各証言及び被上告人本人尋問の結果と対比し、又、三ケ月間の土地使用貸借についてすら契約書を作成する程慎重な当事者が、上告人主張のような賃貸借契約について契約書を作成していない事実に徴しても、措信し難いとして排斥した。そして、右は、なんら採証の法則又は経験則に反するものでなく、上告人の主張するところは、結局、上告人に有利な事実のみを根拠として、原判決の認定及び判断を論難するものであつて、とうてい首肯できない。

一、原判決は、昭和三〇年度における賃料二五八〇円の支払から推算しても、本件(B)(C)地が、上告人の本来の賃借地である(A)地の賃貸借に包含されるものでないと判定した。右も、合理的な判断として是認し得るところであり、証人中島鎌一の証言内容を検討してみても、その間なんら不自然な供述はなく、その賃料算定方法にべつだん疑義を差し挾むべき余地は見出せない。

一、甲第二号証(被上告人方の年貢台帳)の昭和一九年度及び同二一年度の欄に、それぞれ金二円の支払があつた旨の記載のあることは、上告人指摘のとおりであるが、右の事実のみから、本件(B)(C)地が(A)地の賃貸借のうちに包含されと認定することは、証拠の判断上困難である。原判決が、右記載の存在よりして直に(B)(C)地の賃貸借関係を肯定しなかつたことは、しごく当然であつて、非難するに当らない。

一、原判決において、「上告人が戦前より(B)地に物干棒を立てたり、鶏小屋を作つたり、空箱や薪を置いたり、更に戦時中には防空壕を堀つたことがある」旨認定したことは、上告人所論のとおりである。しかし、原判決が、その判示の如き諸状況(例えば、当時(B)地は四方が家屋に囲まれていて、外部から眺められない袋地であつたこと)より判断して、右事実をもつて、(B)(C)地の賃貸借を証する間接資料となし得ない旨判示したことは、別段採証の法則を無視したものでなく、上告人の主張は独自の見解を評する外はない。

一、原判決が、上告人の主張に対し、(B)(C)地上の賃借権の存在を否定した上、右土地が本件一時使用貸借の目的地であるかどうかを判断したことは、なんら本末てん倒の判断でもないし、理由の矛盾やそごも存しない。元来、上告人は、本件(B)(C)地上における上告人及び被上告人間の一時使用の貸借関係を否認し、右は両当事者間の別途の賃貸借契約の目的であると反ばくしたため(積極否認)、原判決は、その事実認定の当然の順序として、右賃貸借契約の存否を審査し、その不存在を確定した上、右事実と、その他の各証拠を参酌して、本件土地が、被上告人の請求原因として主張する一時使用の貸借関係の目的地であると判断したのであつて、原判決の事実認定になんら論理上の過誤はない。

一、上告人は、その(A)地上における建物の改築工事のために、これと隣接する(B)(C)地を一時借受けする必要はあつたが、(A)地より相当隔たつた位置にある(D)地を借受け使用する必要はなかつた。原判決が右のように判断したことは、経験則上当然の推理であつて、その判断には、上告人所論のような違法は存しない。

一、上告人が、(A)地上における建物改築工事のために本件(B)(C)地を一時使用の目的で借受けながら、該地上に便所湯殿等の恒久的建物を建設したことは、原判決の認定したとおりであり、被上告人が多年にわたり右事実を黙過したと思われることは、一見不可解の感がないでない。しかしながら、右の一事のみを捉えて本件(B)(C)地上に上告人主張のような賃貸借契約の成立を認めることは、事案の判断として困難であり、原判決が、右事実にも拘らず右賃貸借関係の存在を否定したことは当然であつて、原判決に上告人指摘の如き違法はない。

上告理由第二点について

第一審判決の主文と原判決の主文との間に、その収去を命ずる建造物の表示に差異の存すること、及び、右は上告人が原審において請求の趣旨を訂正した結果であることは、記録上明らかなところである。上告人は、第一審判決において収去を命ずる「木造セメント瓦葺炊事場建坪二坪九合七勺及び便所建坪二坪五合」と、原判決が収去を命ずる「木造セメント瓦葺炊事場及び湯殿建坪約一坪五合、同便所建坪約一坪二合並に板塀」とは別個の建造物であり、被上告人が原審において請求の目的物を右のように変更したことは、単なる請求の趣旨の訂正ではなく、請求の交換的変更及び追加的変更に外ならぬと主張する。

しかしながら、被上告人が本訴において訴訟物として主張するところのものは、係争土地(本件(B)(C)地)の明渡請求権であり、その目的とするところは、右係争土地の明渡である。被告人が本訴において右地上建造物の収去をも訴求するのは、右土地の明渡を求めるための一方法としてであつて、建造物の収去自体は訴訟の目的ではない。(被上告人としては、右土地の明渡を求めるためには、附加的に地上建造物の収去を求めねばならず、右建造物の収去の判決なくしては土地の明渡の判決の執行も不可能であるが、右のような建造物の収去を命ずる判決部分は、土地の明渡を命ずる判決に対しいわば手段的附随的関係に立ち、それ自体独立せる債務名義ではない)。したがつて、被上告人が原審において、収去を求める建造物の表示につき多少の変更を加え、建物の坪数を若干減縮し又塀を追加したとしても、その明渡を求める土地そのものが前後同一である以上、右は請求の趣旨全体としては訂正の範囲を越えるものでなく、請求の交換的変更ないし請求の追加的変更をもつて目すべきものではない。上告人が、被上告人において右のように請求の趣旨を訂正したことを非難し、原判決の主文に違法があると主張することは、とうてい是認できない。

上告理由第三点について

原判決が上告人に対し明渡を命じた土地の範囲は、その主文において明示する如く、「尾西市起字東茜屋九六八番の三宅地一〇五坪のうち中央南部に凸起した約二〇坪の土地(別紙図面参照)」である。そして、右図面を見てみると、上記約二〇坪の土地の範囲としては該宅地の中央南部にほゞ四角形の凸起状の地形が線描きされてあるのみで、該凸起部分の位置について具体的な説明が附されていない。したがつて、原判決が上告人に対して明渡を命ずる土地の範囲は、判決主文上必ずしも明確といい難く、その執行に際し疑義の生ずる余地あることが予想されぬでもない。しかしながら、そもそも上記約二〇坪の土地は、第一審判決添付図面(二)の(B)(C)に該る土地であつて、本訴第一、二審を通じ訴訟の対象として争われ、それが本件一時使用の貸借の目的であるか、又は上告人主張のように上告人がかねて被上告人から別個に賃借している土地であるかにつき論議された。しかし、右土地の位置又は範囲そのものについて争が存在しなかつたことは、本件訴訟の経過に徴し明瞭なところである。原判決が、その主文において上記土地を表示するに当り、特定の基点を確立した上、距離及び方位をもつてその囲繞線を明確にしなかつた手落ちはあるとしても、既に右土地が一時使用の目的地として判断され、その明渡を命ぜられた以上、上告人としては今更その位置又は範囲につき争うことは信義上許されず、執行に際しさして困難を伴うものとは考えられない。のみならず、原判決の認定したところによれば、右土地の周囲には、上告人により板塀が設置されているのであるから、右板塀が朽廃し又は上告人により除去されない限り、該板塀をもつて囲繞された区域が、即ち本件明渡を命ぜられた土地と見ることができ、これにより右明渡土地の範囲は自ら特定するものと解すべきである。従つて、右土地の範囲が不明確なりとする上告人の主張はとうてい是認し難く、採用に由ないといわねばならない。

前述の次第で、上告人の主張はいずれも失当であるから、本件上告は理由ないものとして棄却する外なく、上告費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して、主文のように判決する。

(裁判官 山口正夫 吉田彰 奥村義雄)

上告理由

第一点原判決は理由を附せず、且、理由に齟齬がある。

原判決は、本件一時貸借の土地が被上告人主張のB、C地(原判決図面斜線部)であつて、上告人主張のD地(第一審判決添附図面(二)のD地)ではないと認定し、その前提として、右B、C地は本件土地一時借受のはるか以前より上告人において賃借使用しているものであるとの上告人の主張を排斥した。

然うして、その理由を要約すれば、(一)上告人がB、C地を賃借していた積極的直接証拠がなく、証言は措信し難い、(二)賃料計算がA地八十八坪八合として計算され、それが社会通念上首肯し得る。よつてB、C地の賃料は含まれていない、(三)上告人が別途に金二円を支払つたのはB地の賃料とは認められない、(四)上告人が従前よりB、C地を使用してきた事を以つて直ちに賃借したとの証拠とならぬ、というのである。然るに、一面、上告人主張の次の如き事実は、之を認めざるを得なかつたのである。

(一) 被上告人方備えつけの年貢台帳なる甲第二号証中、上告人にかかる昭和十九年度及び昭和二十一年度の欄にいづれも別に金二円の支払がなされた旨の記載があること。

(二) 上告人は戦前よりB地に物干棒をたてたり鶏小屋を作つたり、或は空箱や薪を置いたりしており、戦時中には防空壕を掘つたりして、この土地を使用している事。

(三) 上告人が、B、C地の南端に棚を設けて、その占有を明かにした事実。

(四) 本件土地一時借受の行はれた昭和二十八年三月末頃、上告人がD地を古材木や瓦等の一時物置場として、又、壁土をこねる場所として利用した事を、仮に認める事もできる事実。

右(一)(二)(三)の事実を綜合すれば、(一)の金員支払は(二)の土地使用の対価であることを直ちに推認し得べく、(四)の事実によれば、D地こそ本件土地一時貸借契約の対象であることが明白に推察し得るのである。

原判決は、るゝ、言葉をついやしてその然らざるゆえんを説明しているが、それらの説示は、論理的に原判決の結論を支持するものでなく、却つて、之を裏返せば上告人主張の理由あることを論証するものばかりである。

原判決は、まず第一に、前述の如く、B、C地に対する上告人の賃借権につき積極的直接証拠がなく、右事実を立証する証人の証言を措信し難いとして、その理由に、本件の如き短期間の契約にすら甲第一号証の書面を作成した当事者が、B、C地の賃貸借につき契約書を作成していない事を根拠として挙げている。然し乍ら、右の見解は、上告人がB地を賃借したのは、昭和十年頃であり、その頃は、訴外水谷留蔵が右土地の所有者であり、上告人は賃借人加納金次郎より転借したのであるという事実を看過している。

上告人の賃借地中、最も主要なA地の賃貸借についてすら、前所有者との間の甲第九号証の古証文(昭和八年一月一日附)が存するのみで、その後、これらの土地が被上告人の所有になつた時にも、書替の契約書すら作成されておらず。又、その後、A地につき測量した結果、甲第九号証と異つて、その坪数が八十五坪八合である事がわかつたと被上告人本人が陳述した事を事実とすればその時にも何ら書類の書替等がなされていないのである。

本件一時貸借が短期間であり、且、D地が上告人貸借地と接触しない他の独立の土地であつたればこそ、その返還を確保しようとして被上告人が契約書の作成を要求したのであつて、B、C地の貸借につき何らかような書面の作成されていないことは、上告人主張の右賃貸借成立の経緯に照し、むしろ自然であるといわなくてはならない。

第二に、原判決は、昭和三十年度分賃料金二千五百八十円(この額は当事者間に争いがない)の計算の合理性を述べている。

然し乍ら、原判決は証人中島鎌一の証言を採用し、その証言によれば、上告人の賃借している土地が六筆にまたがり、その部分が明確でないので(然るに、原判決主文に於ては東茜屋九百六十八番の三、宅地百五坪のうち中央南部に凸起した約二十坪の土地を明渡せと云つているので、甚だ疑問がある。)上告人及びその他の者に賃貸している数筆の土地の各統制賃料額の平均をプール計算の方法によつて算出し、これに各賃借人の賃借面積を乗じて各賃貸土地の賃料を計算したと認定しているが、このような計算が一体、「社会通念に照らし首肯するに足る」と云へるであろうか。即、右計算方法は、被上告人(第一審原告)の昭和三十三年四月十四日附第二準備書面に明かであるが、上告人の借りておらない他の十筆の土地の坪数と評価額をすべて夫々合算し、総坪数八百二十五坪余の一坪平均評価額を算出し、その一坪の一年の賃料を出して、それに上告人の賃借している八十八坪八合を乗ずるというのであつて、かかる計算方法は本件訴訟になつて始めて上告人に知らされた事であり、且、上告人の賃借する九百六十八番の三の百五坪の評価額が六万四千四百九十八円であるに比し、四番の宅地二百二坪の評価額は十六万九千三百三十八円という高額であり、更に、三番の宅地百九十五坪五合の評価額は十八万四千八百二十七円と一層高額であつて、上告人の借地の賃料を計算するのに、何故、四番の二百二坪、三番の百九十五坪五合や、又、二番の二の百十二坪七合などの広大な、且、高額の土地まで合算しなければならないのか、判断に苦しむところである。

思うに、計算の基礎を八十八坪八合にして、総額二千五百八十円に近づける為の魔術であらう。

然も、甲第五号証の「東茜屋地内土地整理図」をみるに、前記四番の二百二坪、三番の百九十五坪五合、二番の二の百十二坪七合、九百六十八番の三の一の四坪は全然見当らない。恐らくは何処か他の土地なのであらう。(原審では、これらの土地がどこか、審理していない。)

その上、右甲第五号証に表はれている九百六十三番の一、九百六十三番の二、九百六十八番、九百六十八番の一という隣接地の土地は、前記計算の中に加えられていないのであるから、被上告人の主張する賃料計算が、如何に社会通念に反するか一目瞭然である。

反面、上告人の計算によれば、九百六十八番の三、宅地百五坪の評価額金六万四千四百九十八円を基礎に、その賃借使用中の百十七坪の一年の統制賃料は、金二千五百八十七円二十九銭となり、(第一審被告の昭和三十二年五月二十日附第二準備書面)被上告人より、金二千五百八十円の請求をせられたのに対し、極めて正当な金額と考へてその支払をしたのであつて、之が一般社会通念に反するとは到底云えないのである。この点に於て、原判決は既に根本的に判断を誤り、理由に齟齬あるもので破毀を免れない。

第三に原判決は、甲第二号証に昭和十九年度及び昭和二十一年度の欄にいづれも、土地賃料の外に別に金二円の支払が為されている事、然も、甲第二号証は被上告人方に備えつけの年貢台帳であつて、上告人が昭和十四年以来毎年被上告人方に納めてきた土地賃料が記載せられているものであると認定しており乍ら右の金二円を賃料でないと云つている。その根拠は間違つた理窟によるのであつて、理由のくいちがいも甚しい。

即ち、甲第二号証には上告人の賃借土地を八十八坪八合と記載しあり、B地の貸し増し十二坪の記載がないと云うのであるが、同証には昭和十七年度の欄まで、八十八坪八合と記載してあり、その後の昭和十八年度以来はかかる記載はない。上告人はB地を加納金次郎より転借していたのであつて、昭和十七年頃、右加納が死亡するまでは加納に賃料を支払い、その後は直接、被上告人方へ持参したのであるから、昭和十七年度まで、八十八坪八合の記載の外に、B地の貸し増しなど記載のないのは当然であり、その後、却つて、八十八坪八合の記載が消えて、別に「二円」の記載が、昭和十九年度、二十一年度、そして二十二年度に「同右入り」と表示せられたのは全く当然至極、上告人主張の事実を、そのまま裏書きしているのである。また、昭和二十三年度から右の二円の支払が姿を消したという事も、同年度からはA地の賃料と一括して支払うようになつたとの上告人主張に合致するものであり、その額は地主である被上告人の要求通りを支払つたもので、その計算の根拠も聞かされたこともないから、現在被上告人がいかに主張し、その帳簿にいかに記載しようと、上告人の関知しないところである。尚、前記二円の賃料がA地に比し安いという事も、従来、加納が支払つた一年一坪につき七合の賃料を受けついだにすぎず、双方の土地の状況、賃貸借の事情、殊に、Bが、四方をかこまれた死に地であつて、現在の口道が出来るまでは、被上告人も見捨てて関心を有しなかつた処であつて、その賃料に差のある事は当然であり、著しく均衡を欠くなどとは思はれない。A地の約三分の一弱ならば、むしろ妥当な賃料である。

第四に、原判決は、上告人が従前よりB地を物干をたてたり鶏小屋を作つたり、空箱や薪を置き、又、防空壕を掘つたりして使用してきた事実を認定しており乍ら、それが、賃借の証拠とならぬと云つているが、借地の際、之が公然と占有使用を為す事自体が最大の借地事実の証拠たること殊更、論ずるまでもないことである、借りてもいない土地について、両隣と協力して境界に棚をつくり、或は物干小屋など作つて使用するのを地主たる被上告人が看過したなどと、そして又、三ケ月無料で建築資材置場に使用させるのに契約書を要求する被上告人が之を黙認する事も十分あり得るという論法は、社会通念上認められない。

原判決は、以上の諸点について、上告人がB、C地に賃借権を有するとの主張を排斥した上、改めて、本件一時貸借の対象たる土地がB、C地であつたかどうかについて判断しているが、この判断の仕方が、本末顛倒であつて、矛盾齟齬たるゆえんである。そもそも本訴訟は、被上告人が甲第一号証の土地借用証書を証拠としてB、C地を一時住宅改築の便宜の為使用させたのであるから、之が明渡しを求めると云うのであり、上告人は之を否認し、右借受けた土地はD地であつて、B、C地でないと争つているのである。従つて、裁判は、まず被上告人の請求が証拠により明かに立証せられるか否かに限を向けられねばならぬ処、甲第一号証を以つてしては、之が立証とならず、反面、B、C地を上告人が以前より使用している事実をも認定され、又、D地を材料置き場に使用していた事実も多数の証人で立証され、被上告人敗訴の判決あるが当然と思はれるに拘らず、原審は専ら、B、C地に対する上告人の賃借権の存否を厳重に調べて排斥し、以つて被上告人を勝訴せしめている事は、理由を他に求めて判決をしているものである。

原判決は、上告人の家屋建設工事のためにはその用地に接着しているB、C地のほうが隔絶しているD地より一時借受の必要があつたはずであるというが、右B、C地は従来上告人において、物干棒、鶏小屋、防空壕を設置し、空箱、薪等の置場として使用していたことは別に原判決の認定するところであるから、一時的に建築資材を置いたり壁土をこねたりするのにこれを使用するためことごとしく甲第一号証のごとき書面を差し入れ一時借受契約を結ぶ必要があろうか。これらの使用方法が原判決認定の従前の使用方法に比しいちぢるしく程度の高いものとは、いかにしてもみることができない。従来何の関係もなく、独立せるD地を一時使用する必要があつたればこそ、上告人は手をつくして被上告人に懇請し甲第一号証のごとき書面を差し入れたのであつて、もしB、C地のみの使用で事足るのであれば、何を苦しんでかような手間をかける必要があるであろう。

次に原判決は、上告人が訴外加納三千年、同古田一雄と費用を分担してB、C地の南端に棚を設けた事実をあげて、上告人がB、C地を独占、排他的に使用したものとは認められない理由として特筆しているが、右棚を設置したのは、上告人がB地賃借以後ではあるが、C地を賃借する前であり、当時C地上で加納長次郎が借りていた家をとりこわすについて、これに接続しているB地の賃借人である上告人と右長次郎の息子の三千年と、西の隣地の使用者の古田とが協力してC地南端に棚を設けたもので、このことが上告人のC地借増のきつかけになつたものであることは、第一審における証人橋本たきゑの証言に徴し明白であつて、右棚の共同設置の事実は、上告人が従前隣地B地を賃借していたこと及びその後C地を借り増したことの証左にこそなれ、上告人のB、C地賃借を否定する資料となりえようはずがない。この点に関する原判決の理由も矛盾のはなはだしきものがある。

もし上告人が、B、C地を賃借していたという点が認められないとすれば、上告人が右土地を板塀で囲い便所や湯殿を建てるということが、被上告人の許諾なしになし得るものと考えていたと思われないこと、原判決の説示するとおりである。しかるに、原判決の認定によれば、上告人は右、B、Cの土地を隣地の改築工事の必要と称して一時的に借り受けながら、同地上に便所、湯殿等の恒久的建物を建設したというのであるが、本件一時貸付に原判決認定のごとき慎重な態度であつた被上告人が何故に右建設工事を黙過し、じんぜん三年有余に及んだのか。これが本件における最大の疑問であるにかかわらず、原判決はこれについて何らの説明を与へていない。

けだし、本件事案の真相は、記録中にも散見する濃尾大橋の開通に伴なう本件近傍の土地の地価の昂騰に剌戟された被上告人が地形上B、C地のごとき凸起部分の存することを換価に不利としてたまたまD地に関する甲第一号証が手残りになつているのを利用して、B、C地に対する上告人の権利を消滅せしめんと企図したものであつて、上告人は事態を円満に解決すべく、右B、C地を含む土地を時価をもつて買い受けてもよろしき旨、人を介して被上告人に申し込んでいるが、被上告人は本訴提起の行きがかりからか、これに応じない実情にある。

これを要するに、原判決はその説示自体に徴しても、その理由に不備の点、かつ示した理由に齟齬があつて、その認定の妥当なるゆえんを納得させることができない。破毀をまぬかれないものと思料する。

第二点原判決には被上告人が申し立てた事項につき判断せず、主文の記載を誤つた違法がある。

本件第一審判決主文をみるのに、「被告は原告に対し、別紙目録記載の土地を、同地上に建設しある家屋その他の地上物件を収去して明渡せ。」とあり、収去を命ぜられた地上物件を、「同地上に建設しある家屋その他の地上物件」というほか、これを特定するに足る事項を掲げていないが、同判決の事実摘示によれば、原告の主張として「被告は……木造セメント瓦葺炊事場建坪二坪九合七勺及び便所建坪二坪五合を建設し、或は古材の置場として使用しているから、地上物件を収去の上、同土地の明渡しを求めるため、本訴請求に及んだ」と記載し、第一審判決は原告の右請求を認容したものであること明らかであるから、同判決が収去を命じた物件は、「別紙目録記載の土地上に建設しある、木造セメント瓦葺炊事場建坪二坪九合七勺及び便所建坪二坪五合或いは古材」であつて、その他の何物でもないといわなくてはならない。しかるに、被上告人は原審において昭和三十五年一月十六日附請求の趣旨訂正申立書を提出し、前記請求の趣旨を「控訴人は被控訴人に対し尾西市起字東茜屋九百六十八番の三宅地百五坪の内中央南部に凸起した約二十坪の地上に存する木造セメント瓦葺平家建炊事場及湯殿建坪約一坪五合同便所建坪約一坪二合の家屋並に塀を収去して該敷地を明渡せ」と訂正する旨申し立て、そのいわゆる訂正の理由については何ら主張していないが、旧請求の趣旨中「木造セメント瓦葺炊事場建坪二坪九合七勺及び便所建坪二坪五合」と新請求の趣旨の「木造セメント瓦葺炊事場及湯殿建坪約一坪五合、同便所建坪約一坪二合」とは社会観念上明らかに別異の建物の表示とみなくてはならず、新請求の趣旨中の「塀」に至つては、原判決中一言半句もこれに触れておらず、かえつて右土地は古材置場として使用されていたことが主張されているのみである。

「木造セメント瓦葺炊事場建坪二坪九合七勺」及び「便所建坪二坪五合」は「木造セメント瓦葺炊事場及湯殿建坪約一坪五合」及び「同便所建坪約一坪二合」と、それぞれ同一物件の表示を単に誤記したものということはできない。建坪にしても、旧表示には二坪九合七勺及び二坪五合と明確に記載し、新表示の約一坪五合及び約一坪二合とは全く相異していて、かれこれ融通しあうことができるようなものではない。いわんや塀のごときは、前請求には全然形跡だに現れていなかつたものである。

したがつて被上告人が前記訂正と称するものは、実は家屋については、前訴を取り下げ(或は請求の放棄)、新訴を提起するもの(訴の交換的変更)であり、塀については請求を拡張するもの(追加的変更)であつて、いずれにしても原審は交換又は拡張された請求の当否について判断しなくてはならなかつたものである。しかるに、原審は、被上告人の請求の趣旨訂正と称するものは、実は新訴の提起であることを看過し、これを控訴審における請求の減縮、或いは同一請求の単なる表示の訂正の場合と同様に、被上告人の請求の趣旨訂正により原判決主文が当然変更になつたものと見解をとり、被上告人の新請求の当否を判断しないままで、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。原判決主文第一項は請求の趣旨訂正により左のとおり変更された。控訴人は被控訴人に対し、尾西市起字東茜屋九百六十八番の三宅地百五坪のうち中央南部に凸起した約二十坪の土地(別紙図面参照)を、該地上に存する(一)木造セメント瓦葺平家建炊事場及び湯殿建坪約一坪五合、(二)同便所建坪約一坪二合、(三)塀を収去して明渡せ。」なる主文の判決をしたことは、被上告人の用いた訂正なる誤につられて、被上告人の申し立てた新たな訴について判断する代りに、主文において無意味の記載を加えたものであつて、法令に違背し、その結果判決に影響を及ぼすこと明らかであるから、原判決はこの理由によつても破毀を免れない。

第三点原判決は、その主文に於て、明渡を命ずる土地を特定していない違法がある。

第一審判決は、主文に「別紙目録記載の土地」とあり、別紙目録をみると「尾西市起字東茜屋九百六十八番の三宅地百五坪及びその接続地一、右土地中、中央部南約二十坪(赤斜線を施した部分)」とあり、之が、如何なる土地の如何なる箇所を指すのか不明であるが、控訴審に於て前項の如き違法な訂正なる事が為され、第二審判決の主文によれば「尾西市起字東茜屋九百六十八番の三宅地百五坪のうち中央南部に凸起した約二十坪の土地(別紙図面参照)」となつている。而して図面をみると、ほゞ四角形のものが、線画きされているにすぎない。之では百五坪の内、どの部分の二十坪を指すのか不明である。

破毀を免れない。

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